LIST
 
「とある場所」
 
   「ホームバー」   「出窓」   「静寂な祈り」 「バス停」
 
 「窓に射す時間」 「思案」  「白煉瓦の部屋」  「BRAND RICH」    

 「次男坊のガレージ」  「独り飲み」  「酒場の猫と」  「覚醒の朝」

  「小さなBAL」 「1/12オートバイ」 「インダストリアル・バー」  

「止まった時間」 「閉ざされた空間」 「光と闇」 
「RUINS BAR」 「カフェ&バー」 
 
    
「坂道のある風景」 「町工場」 NY・pulmber」


 *制作時期は降順

 


「とある場所」   LIST

何処かで見た、何処かにある、とある場所。

気にして目に留めず、見向きもしないけれど、何故か記憶に残る場所。

 

  ホームバー LIST

 元工場を住まいにリノベーションして、その一角にホームバーを設えてみる。
 
いつも自分が常連であり、またマスターでもある。
 
時に気の知れた友と談義を交わす、狭い空間。

 


  出窓 LIST

裏路地を歩くと、あちらこちらに昭和の情景を垣間見る。

時代は連盟と続く中でひとつの節が訪れる。
 
しかし、それが訪れたとしても直ちに過去がすべて消え去る訳ではない。
 
いつかは消え去る運命であろうけれども、
 
平成の世に今も静かに昭和の風が吹き続けている。
 
平成の中に昭和を感じる時。
 
 
 

  「静寂な祈り」 LIST
 
 
古来より受け継がれた聖なる場所、アミニティズムが息づく風土。

 
世代から世代へ、作法と語りで引き継がれて行く静寂なる祈りが、今日もある。
 
 

    バス停 LIST
 
 
「バス停」待つ人。
 
都市部の路線とは規模も資金力でも太刀打ちが出来ない、小さな町の路線バス。

もとよりバス停の標識のみが設置され、細々とした運行を支えてきた町の住人。

いつしか小さな待合所が出来、幾多の人がそこで雨風をしのぎながら

バスを待っていたのだろうか。

そこには屋根と壁に椅子しか置かれてはないけれど、

そこには最小にして最大の温もりがある。
 

 
   「窓に射す時間」 LIST
 
 
 
 
 独りと孤独、同じ意味合いでしょうが、選択肢があるとするならば、

「孤独」より「独り」の方がいい気がします。

窓越しに外からは中が見えにくい部屋、どこか人の心に似ている気がします。

 光が差し込み、幾分の温かみを感じる時。

その光は朝日なのか、それとも斜陽なのか、その心持によってはどちらにも

 とれるでしょうが、絶え間なく進んでいく時間の中で、

あなたが私を見つけてくれる時。

それは、誰しもが待ち望んでいることなのでしょう

  

  
    「思案」  LIST
       
 

   
 一人机に向かって考え事をする。机と言う小さなスペースから思案は果てしなく広がる。

いつも、大体同じような事を考え、似たような答えになる。

時として、いいアイデアが浮かんだと思い、更にそれに色付けをして壮大な絵巻になる。

 しかし、実際に現実となるのはそのほんの少し。

そしてまた、思案にふける。

 
白煉瓦の部屋  LIST

   

  
「BRAND RICH」  LIST
 
 
時代は1900年初頭のイギリス。

老舗百貨店(BRAND RICH 仮称)の商品搬入、搬出を行うためのストックルームの一場面。


 頻繁に出入りする商品を担当者が左側の部屋でチェック、仕分けをして、蛇腹ドアのエレベーター

で各階に送られる。百貨店の裏方部分であり一般には目に触れることのない場所。

そこで働く従業員の息づかいをミニチュアで表現してみました。


 写真集企画で制作した百貨店のバックヤード、ストックルームの一部。
制作の参考情報量としては殆ど

無いに等しい中、規格内の大きさの中で
レイアウトや制作物に手こずりました。
  
作品掲載写真集
 
 クリエイター12「ドールハス百貨店」発行:亥辰舎
 


  次男坊のガレージ①  LIST
 
  次男坊のガレージ②

 
    
  
「ストーリー」

今はこの作業場の使用者は次男坊である。

数年前までは父親が「クラハムオート」と言うバイク修理工場を営んでいたが、高齢になったのと腰を悪く

して廃業した。 修理工場以前は祖父が鍼灸院をしていた。

もし祖父が生きていたら父親の腰も良くなっていたのかもしれない。

現在の持ち主である次男坊は会社員であり、ここはあくまでもバイクいじりの趣味の作業場である。

さて、次男坊は将来ここで何を始めるのか、始めないのか。

  
こう言った作業場とか物の配置に関して色々と思案しますが、対象として自分ではない誰かの
所有物である

としても、作り手の性格が現れてしまいます。 本来であれば物一つ一つは一度にそこにあった訳ではない

ので、その作り手の気配を消さなければいけないのですが、そこは中々難しい課題です。

左壁のポスターは切り絵作家のタカハシケンゴさんから作品素材として提供して頂きました。

独り飲み  LIST
  


 
  酒場の猫と   LIST
 

酒場の片隅で一人酒を飲む。 店の白猫が微妙な距離からおもむろに上目づかいで見つめて来る。

会話があったとしたらどんな内容だろうか・・・

 そろそろ、帰ろうかな。

 

  「覚醒の朝」  LIST

人は辛い時、心を閉ざしがちになります。

これ以上傷つくことを恐れて内に気持ちを向けていきます。

自分が安心できる領域内から出るのをためらってしまいます。

誰にも邪魔をされない心の城に居れば幾分落ち着きを取り戻せるでしょう。

けれど、もう十分に考えたはずなのに何一つ答えが出てこない、まだ考えたりないのだろうか。

いつしか、綺麗であった心の城が気が付くと荒れ果ててしまっている。 

覚醒の朝を迎えることが出来るかは、自分次第なのかもしれません。


  「小さなバル」  LIST
 
 
   
 
   1/12オートバイ   LIST
 


   「インダストリアル・バー」  LIST


   
その昔は倉庫であった建屋をBARにして鉄と煉瓦とウッドとお気に入りの小物がその店の雰囲気を表し、

古さと新しさが懐かしくもあり新鮮な場所。

そう言った行きつけの店があれば、少し贅沢な気分になれます。


「止まった時間」   LIST


 
 
 「閉ざされた空間」  LIST



  
ある時を境に、動きを止めた部屋に置かれた朽ちた椅子。誰がそこに座り、何をし、何を思い、どんな人

生であったのだろうか。侘しさを感じる空間の端々には、幾重ものその記録がしっかりと刻まれている。

「楽しかったよ」と、その椅子が言っている気がします。

  
  「光と闇」  LIST
   
恐怖心が更なる不安を煽って前に出るのをためらう時があります。

床に穴が開いていないだろうか?天井から何かが落ちてこないだろうか?

階段から何者かが襲っては来ないだろうか? 

不安材料を考えれば限りがありません。

 もしかしたら向こう側には何か楽しいことがあるかもしれない。

見たことのない素晴らしい景色が広がっているかもしれない。

 悪いこともあれば、良いこともある。

そのどちらかに託すかによってその心持も違って来ます。

 その足元が闇に包まれていても、視線の先には光が導いていると思えば

 一歩を踏み出す勇気が湧いてくるのではないでしょうか。

そして、その勇気が希望に変わる瞬間を体現できる。


 きっと、大丈夫。



 

                      
「RUINS BAR」  

  ruins bar  LIST

夢なのか、それともデジャヴなのか、気が付くとこの古ぼけたBARで飲んでいる。

 普段はそのことを忘れているが不意に思い出し、そこに行きたくなって街に出てみる。

 多分この辺りであったと思い、探してみてもそのBARは見当たらない。

 確かに周りの景色は合っている。BARがある場所には全く違う建物が建っている。

 
やっぱり夢だろうか。自分がおかしくなったのか・・。 諦めて帰ろう。

 
数日後、その店で当たり前のようにウワッカを飲んでいる。
行こうとしても行けない。行こうと思った記憶がないのにそこへ行っている。

案外、そう言ったことはあるのかもしれません。



廃墟的、懐古的、平行時空的な立体の模索。

現実であってそうでない、今であってそうでない。

極めて曖昧で中途半端な立体が現実として存在するとどうなるんでしょうか?

カフェ&ギャラリー  LIST

  
 

  
 
 坂道のある風景 1/18」  LIST


 
 
 

 
 

 町工場     LIST
 



 

  NY・pulmber  LIST
 


 
 
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 思いあれこれ


「 Industry」インダストリー、インダストリアル、インダストリアルデザイン。


これに関連する用語は多様性があって、ここで言うインダストリーとは、工業、産業的な物品を指していま

すが
他に生産概念、音楽など理念的であったり、表現方法の一つとしても表されているようです。

町工場に置かれた工作機械やそこにある備品の数々。

潤滑油や切削くずなどで全体に黒みがかった工場内の色彩、物が一件雑多に置かれているようであってもそ

こには長年培われてきた作業動線によって、無駄のない配置がされて使う者のみが理解しうる領域です。

工場内に置かれた機械類は表立って主張はしていないけれど、その奥に蓄積された技術や歴史がしっかりと

その物の一つ一つに息づいている気がします。

インダストリアルデザイン、インダストリアル家具。古いものはアンティークやヴィンテージ的な感覚を受

けますがやはりどこか違う気もします。

一種孤立した形態に感じられるのは何故でしょうか。それは周りに迎合しない姿勢が感じられます。

その時代に相まった形や機能は追求するものの、人目を気にせず必要な目的達成の為に最良の形、素材を選

択して無駄を省いたデザインは一見無骨で愛想がないように思えるますが、自分を隠すことなく、ありのま

まの姿をさらけ出しているようにも思え、自分にはない強さを感じ、ひとつの憧れとも言えます。

使い込まれたものは見た目は薄汚れていても、鉄が暖かく感じその重さや大きさが心地よく思えます。
 
Industrial design
 
インダストリアル・デザイン、1920年頃にアメリカで発祥した工業系デザイン。

機能と洗練されたデザインはその時代ともに移りゆく中でも常にメカニカルな

形状でありながら、芸術的な繊細さを内在し、独自なインパクトを与えます。

  「形」

制作する物の形を考える時、自分の頭の中にある固定的な形が最初に浮かびます。

それを繰り返しても同じような物
ばかりになってしまいます。

それになかなか制作に取り掛かる気持ちが湧きません。

そういう時はお気に入りの雑誌をぺらぺらと見て何かいいものはないかと探してみます。

何度も見ている雑誌ですので大体のものは覚えがあるので「これいいな」と思えるも

のも決まっています。

そんな中で、いつもは気に留めていないような家具とかを見ていて急にインスパイヤー

を受けたような気持になります。

ちょっとした部分が気に留まって俄然作りたくなります。

完成したものはいつも作るものと大差はありませんが、何か何処かでスイッチが入っ

たような気持ちで制作に取り掛かれ
ることは大切なことだと思います。

車で言うフルモデルチェンジではなくマイナーチェンジ的なものかもしれません。

同じような物でも何かか違ってる。それは形かもしれないし思い入れかもしれません

が、それがあると次にまた作
りたいと言う気持ちが出てきます。

 
「Alchemy マーカスの椅子」

ジョセフ・マーカスは25歳の時、父セニョンが営むテーラーを継ぎ7人家族を養っていた。

その傍ら錬金術の研究を続け、
80歳を過ぎても本業は畳んだが研究の熱は冷めなかった。

彼が
19歳の時、近所の古本屋で一冊の本が目にとまり手に取ってみると、パラケルススの

著書で錬金術に関する本であった。マーカスは以来錬金術に関する本を読みあさり、いつ

しか自分も錬金術師になりたいと思うようなった。しかし厳格な父が許してくれるとは到底

思えず仕方なく家業を継ぎながら時間を見つけてはひっそりと研究に勤しんだ。

マーカスはエリクサーを作り出すことが夢であった。所謂不老不死の薬である。自分が老い

てゆくことを現実として認めつつも作り出せることを信じて研究に没頭した。

あれから数十年の月日が流れ、マーカスが住んでいた場所の景色もすっかり様変わりし、時

が記憶を洗い流しているかのようである。ただそこには一つだけ変わらないものがあった。

今は住む者もなく廃屋と化したマーカスの家屋の一室に置かれた古ぼけた一脚の椅子。

幾人かの住人が住みながらもその椅子だけは何故か処分されることなく使われ続けたのである。

今となってはその椅子がいつの時代に誰が購入したのかも知る余地はない。

知っているのはそこにポツリと置かれた古びた一脚の椅子自身であろう。

こんな物語があるような椅子を、いつか作れたらいい。


「闇夜を歩く」

 暗闇の道を歩く時は恐怖心で中々思うように前には進めません。

そこに足元を照らす明かりがあったり、トンネルの出口のような光の差し込んだ目印があれば、

心持も随分と楽になります。

どこまで続くか分からない急な階段や、部屋の扉を開けると真っ暗で何も見えない状況の中で

も何処かに光がある、出口がある。

そう思えば現在置かれた状況が必ずしも良くない状況であっても必ずその出口にたどり着ける

と言う希望が湧きます。いつもそんなことを思い浮かべな がら、それを形に出来ることを思い

めぐらせています。

ミニチュアとは。

自分にとってミニチュアとは何だろうかと偶に考えたりします。

掘り下げて考えてみようと思っても大した答えも出てきません。

最終的には「作ってみたい。」ただそれだけの言葉以上のものは出てきません。

なぜそれを作るのかなどと、詩人の様に思いめぐらせても、なるほどと納得する詩も出来る訳でも

ありません。けれど、常にどこかでその答えを追い求めている気がします。

作るのをやめたらただそれだけ。意外とシビアーな状況ではあることは確かではありますが、

作り続けることがそれがどうであろうと、その答えであるのかもしれません。

「作ってみたい」ではなく「作れたらいいな」の方が肩肘をはらなくて長続きするのかもしれません。 




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